皆さん、当たり前ですが、出かける前は、身だしなみに気をつけて、鏡で自分の姿をチェックすると思います。私もします。でもじっと自分の姿をみているとあることに気づきます。それは自分の右手は鏡の中で"左側"に、左手は"右側"にあるということです。俗にいう鏡反転です。あるいは、自分の姿をスマートフォンの自撮りで撮影すると、「あれ?」っと思ったことはありませんか?自分の顔なのに妙に見慣れない。いや、毎日こまめに身だしなみをチェックする女性の方は慣れているかもしれませんが、私は写真に写った自分の顔に違和感を感じるのです。毎日毎日鏡の前で顔を洗い、日中はトイレの鏡でヘアスタイルを気にし、夜には寝る前の歯磨きで鏡の前に立つので、自分の顔を確かめるのにあまりに鏡に頼りすぎていて、写真で見る自分の顔に違和感を感じてしまう。でも左右の関係性という点においては写真の自分は他人からみた自分に近いです。つまり自分の家族や友人たちは自分が妙だと思う方の像を当たり前だと思っていて、自分自身だけが鏡の自分の方が自然な自分だと思っている。
毎日の生活の中でしきりに確認し続けている自分の姿、それを自分自身だと認識している我々の自分像は、全くのでたらめと言わないまでも、他人が認識している私とは違いがあるようです。そんな鏡の不思議を版画を使って表現してみました。
版画は木を彫り、その上に絵の具を塗り、それを紙に擦り付け、木の形を刷りとるアートです。版画を作るとき気をつけなければならないのは、像の反転です。印鑑のように左右の反転を考えて作らなければなりません。そういう少し複雑な技法でアートを展開してきて、この2年間版木と版画って鏡の関係に似ているなと思いながら制作を進めてきました。もちろん版木そのものと刷られた版画には版木に彫られた像と紙に刷りとられた像という違いがありますが、像が左右反転しているその関係性は自分と鏡に写った自分の関係性にとてもよくにています。
鏡は表面のガラスの磨きが正確なほどより正確な像を写します。私の版画は手で刷っているのでそれほど正確ではありません。エラーのような"異差"もあります。でもアートですからそれも有りではないでしょうか?そのエラーは私の個性です。私はプリンティングマシーンではありませんから。以上が今回の展覧会に当たって考えたことです。版と画を見比べその違いを楽しんでください。
(コンセプトについて追記)
「ミラーとエラー」でわたしが、なにを想定しているかといえば、アイデンティティの有効性への疑いである。
鏡は大昔は儀式のために使われていた。その儀式では月の光や太陽の光を鏡で反射させることが、神々しいこととされ、悪霊を追い払うと信じられていた。一方で一般市民が鏡で、自分自身の姿を確認できるようになるには18世紀まで待たなくてはならなかった。なぜなら鏡を作るのには希少な材料(ガラスや水銀)と、大変高度な技術(ガラスを平らに磨く技術など)が必要だったからだ。それまでは、ギリシャ神話に出てくるナルキッソスのように、水に映った自分の姿を見てぼんやりと自分の姿を確認するだけだった。
18世紀以降になると、近代という新しい時代が産業技術を発展させ、ようやく一般の人々も鏡を手にすることができるようになった。そこで人類は初めて「自分が自分であること」、「自分が他人と違うこと」を意識するようになる。いわゆるアイデンティティが広く一般に意識されるようになった。
20世紀のコンピューティングの技術革新を経て、21世紀にスマートフォンが登場するようになると、その機能を使って、“自撮り”に勤しむ時代へとシフトする。自撮りは自分で自分の姿を撮影することだが、そこではもはや鏡は使われていない。スマートフォンのカメラはそのほとんどがソニーやカシオが開発したデジタル画像センサーでデジタル画像化されている。いわゆるミラーレスカメラだ。
ミラーレス。このことが象徴することは、近年のデジタルメディアやウェブコミュニケーション時代の繁栄と、我々のアイデンティティの問題が、どうやらデジタル世界とともに語られるべきものだという事を示しているように思える。なるほど、FacebookやInstagramの繁栄にも見て取れるようだ。みんな日常的に「いいね!」をもらうために、必死だし、まるで「いいね!」が付かないとなんだか自分が自分として認められていないようで不安になる。そのようなミラーレス時代は全てのことがデジタル化され、コンピュータのデジタル処理に都合のいいように書き換えられているように思える。つまりは、人工知能技術への接続を目指しているように思えるのだ。
さて、人工知能という問題を考えるとき、決まって思い浮かべられるのが、生身の人間の脳と人工知能の対比である。プロの囲碁の棋士が人工知能と対戦し勝ったり負けたりということが話題になったりする。しかも人工知能は驚異的なスピードで発達しているらしい。中には人工知能が人間の地位を脅やかしたり、人間が人工知能の奴隷として働くような悲観的な世界を思い描いたりする人もいる。人工知能技術がそのような一義的な発展を単純にするかどうかは不明だ。しかし、人間が脅威を感じているものだということは確かなことである。
そうであるならば人間が人間らしく身心を保つにはどうしたら良いか。
「人間だもの、間違いもあるよね」。こう言った文句は自明的である。そうだ人間とは感情をコントロールできずに泣いたり怒ったり嫉妬したりする生き物である。またちょっとしたミスで落ち込んだりもする。つまずいて転んだくらいなら、愛嬌があるとも言えるかもしれない。「人間が人間らしく」。このことは凡庸な問いかもしれない。しかし、人間が作るエラーが人間らしさそのものだということも同時に言える。つまり「ミラーエラー」の「ミラー」はアイデンティティの発生と消失。そして「エラー」はうまくデジタル処理できない偶然性や人間らしさのことだ。そのことを版画の版と画=ミラーとして提示したし、わざわざ繊維の強いコントロールしずらい中国紙や、水彩絵具等の等の手着彩を画面に施す表現で、エラー=偶然性を表現した。
铃木隆太的作品风格看似怪诞奇异却又活力四射,不断地挑战大众对版画的传统认知。
当目睹铃木隆太的纸质作品时,您可能会被其作品对传统日本绘画精髓的沿袭所打动。铃木隆太出生于日本一个中等规模的城市——浜松市,并在一所日本公立学校任教,教授艺术和英语。在当时的日本社会里,家中长子通常都会回到父母身边,然而作为长子的他却选择了游历他乡,这使得他已然超越了日本本土居民的角色。
当铃木隆太在东京知名的多摩美术大学完成版画专业本科学习后,便前往英国攻读版画和视觉艺术专业的硕士学位,并于2009年毕业于坎伯韦尔艺术学院。与当时同在伦敦学习的中国艺术生交流后,他对在中国新兴艺术环境中展开新的探索产生了兴趣。所以,在短暂返回日本后,便试图再一次移居他乡。他选择了在一家位于北京的顶尖日本学校任教。从加入学校的那一刻起,铃木隆太便以国际版画艺术家的身份活跃起来。
随着铃木隆太从东京、伦敦到北京这一路以来自我认知的演变,其版画作品和制作的真髓也不断发展。与中国同龄人在上世纪八十年代改革开放时期的特殊经历一样,铃木隆太成长于日本泡沫经济的年代,并在经济长期萧条的过渡时期里变得成熟,那时的他和许多其他的日本年轻艺术家一样都纷纷开始寻求变革。正是这个泡沫年代在铃木隆太的作品里烙下了印记,如同当时西方出版物里描绘的“日本经济奇迹”是得益于日本的山寨文化,并把日本的制造者称为不知疲倦的仿效者。
当铃木隆太搬至伦敦后,他觉察到问题的关键并不是源于本土化的身份认同,而是人们对日本“效仿”的普遍看法。在他移居中国并目睹了两种文化的复杂交织后,他对“日本式的效仿”有了更具历史维度的认识。他注意到日本自身重要的文化基石也是从印度和中国“效仿”的,这一问题引起了他的深思。
伴随着铃木隆太自身对这种细微的文化差别的认识,他发现日语中常见的动词“学习”(manabu)源自与其相关的动词“模仿”(maneru),并更加切实的感知到,浮世绘的巨大成功与魅力就在于对印象的精准还原,这恰恰体现了“模仿”的文化价值。尽管此般复制合乎浮世绘的理想,不过用铃木隆太自己的话来说,虽然自己时常会引用此类体裁,但这一流派与他的作品并无根本联系。相反,他借助浮世绘在世界盛行中被赋予的本义,将这一表现方式作为一种语言工具,让人们能够更容易的去理解他的木刻、水基油墨等艺术技法。
作为一名受到专业日本版画训练的当代版画艺术家,铃木隆太的创作概念来自在版画(hanga/print)这一名词的相互关系中。从字面意思上看,版画(hanga/print)是版(han/impression)与画(ga/picture)的关系。原版的木板(hangi/woodblock),和出现在木板上的用于雕刻的图案,也就是版(han/expression)是最后出现在纸张上的画作的母本。在广泛对版画的认知上,原版的木板被归为一种工具,承担着拓印作品的功能,相当于一个媒介。从这个意义上看,拓印后的纸张成了最终的“原作”。
但是,在铃木隆太的心中始终存在一个疑问,在创作完成后将原版木板丢弃是不是一种浪费?与此同时,失去了用立体维度的原版创作的版画(hanga/print),是否仅仅成为了原版(hangi/woodblock)的复制?
从这个创作过程中,铃木隆太开始以创作提出自己的观点。日本不应被视为简单的“效仿者”,还应该是改编者、创新者。这个思考方式的演变影响了他的创作思路,他开始试图通过自己的创作手法来抹掉头上的“效仿”字眼。于是,他以版画和原版应视作同等独立的作品为前提,提出原版与版画在最终作品中的重聚所带来的鉴赏性将为版画注入新的活力。
当你理解了铃木隆太创作思路的延伸后,便不难感知到其成对作品中所蕴含的创造力和交互作用。如作品《不对称的研究》(Asymmetrical Study)和《粉色的研究》(Pink no Gakushu或“Study in Pink”),虽然他刻意的用罗马字母拼写对应的日语,但并不是完全对照着翻译。普遍的观点认为这两幅作品中,《粉色的研究》(Pink no Gakushu)是原作。铃木隆太将一块胶合板铺放在阿诗88版水彩纸上,并混合日本岩彩与丝网油墨制作出丝网与木刻的部分,同时,用白色铅笔在原版上描摹出与纸质作品对应的空白部分。他把两者并排展示出来,原版与纸质作品那一抹抹印刷后残存的颜色真是像极了。究竟谁才是原作?谁才是复制品?到底是谁在模仿谁?
铃木隆太版画的视觉效果实际上源自相机镜头捕捉到的一系列照片,如本系列所呈现的女孩。他用Photoshop把拍摄的原图转换为单色调后打印出来,将其转化为丝网并转移至油基油墨的原版上,有效地创造出与浮雕对应的抗蚀部分。在给丝网设计部分涂抹水性颜料时,与平版印刷颇有些类似,一抹浅浅的颜色会残留其上,抵挡其它任何亮色的累积。就这样,一副水彩照片的木刻版画便形成了。
不过铃木隆太的作品没有结束于版画制作,他还对原版和纸张的边界进行切割,将原版与版画交织的界限暴露出来,再把这两部分作品安装在十字交叉的木材上,看上去好似一个支架。如此,他打破了二维平面固有的认知,将作品以类似雕塑或建筑结构的形式展现出来。最后,通过层层叠叠的深色罗缎发带将两部分连接,与木刻技法典型的黑色线条交相呼应。
除了其标志性的照片复制以外,作品《不对称的也许》(Asymmetrical Maybe)和《也许…》(Maybe...)呈现了铃木隆太作品的另一个典型要素。一张版画的原版好似有了翅膀,飞跃到另一张版画上,就如同孔版一样会留下相同的痕迹。不过与孔版印刷纯粹的复制不同,铃木隆太对原版的再利用是为了对原版进行重构,创造出新的作品。而他循环创作的过程一般是,先雕刻出一块原版,印刷后再对原版进行二次创作,营造出一种镜像,并最终打造出一件新的作品原件。随着这些种子图片在作品与作品之间的变异,其艺术作品的意义也在聚合之中得到了累积。
这些成对作品背后最突出的理念——为标题,在北京草场地艺术区颖画廊举办。艺术家对原版和版画之间假定的对称性发起挑战,并充分挖掘二者的潜力,分别将其打造为独立的艺术作品。他瓦解了百分百的复制,将原版与版画逐渐疏离,使原版得以从众所周知的版画中解放出来,不再默默无闻。同时,版画也得以摆脱印数的限制。铃木隆太的作品远非纯粹的复数艺术,而是对版画自身内在的探究——从版画的印刷回到原版。